沖縄の美しい海の写真。
私は、4才まで石垣島に住んでいました。
短いですが、幼心に鮮明に記憶に残っています。
当時はまだアメリカの占領地で、お金もドルの時代。
そこには美しい自然と、昔と変わらない生活がありました。
でも、戦争が多くの傷あとを残し、現在でも深く島人の心を傷つけています。
私の母は、日本兵よりアメリカ兵の方が人間的で優しいと言いました。
日本兵によって多くの島人が殺されたのです、人間としての扱いをうけずに。
「戦争だから仕方がない」 といわれます。
そんな言葉ですます人間がいる限り戦争は無くならないでしょう。
悲しいことです。
家族みんなで大阪に移り住みましたが、当時はパスポートが必要でした。
石垣島から貨物船に揺られて沖縄そして鹿児島に行き、列車で大阪まで。
今でしたら、日本から韓国・中国に移住することと変わらないでしょう。
幼い4人の子供を抱えて、親父とおふくろの苦労が今になってわかります。(感謝
大阪に着くなり、大変な生活が始まりました。
ドルから円に変わって、お金の価値がわからないのです。
まず買ったのが柱時計.
後からわかったのですが、高い買い物をしたみたいです。
幼い私しには、まず大阪の言葉がわからない?
友達と遊べませんでした。
幼稚園は、いつも首から鍵をぶら下げて一人で通っていました。
今では考えられませんが、カギっ子ですね。
親に甘えることはできません、幼い時からなんでも一人で頑張りました。
が、勉強だけは無理でしたね。(笑)
今は、冠婚葬祭でしか島に帰ることはありませんが、帰るたびに島のオバー・オジィから
「サトゥーガンジュー」=「さとし、元気!」 と声をかけられます。
よく名前を覚えているなと感心します、私の方が名前でてこない。 (悲しい〜
私の誇れることは、島人であること・親父とおふくろの息子であることです。
これから気がむいたら、沖縄の楽しい話を少しづつ書きたいと思います。(よろしく!
とらひげ